Tuesday, December 26, 2006

パチンコ 美空 ひばり

神戸の「ひばり」師走に歌う そっくりさん一筋40年2006年12月19日16時02分 生きることは/旅すること……。師走の土曜、とあるパチンコ店に舞い降りた「ひばり」が、しみじみと「川の流れのように」を歌っていた。場違いなスパンコールのロングドレスに、全身を覆う羽根飾り。美空ひばりのそっくりさん一筋、神戸・新開地を中心に巡業する彼女の芸能活動は、40周年を迎えた。パチンコ店で美空ひばりの曲を歌うひばりさん=兵庫県赤穂市で 中高年の男女数人が握手を求めてくる。熱唱をかき消すホールの騒音に、店の人は「やっぱり営業中は難しいな」とつぶやいた。ひばりさんは気にする風を見せない。名刺には「ひばり」とだけある。本名も年齢も明らかにしていない。 神戸のひばりさんが生まれたのは大阪だ。小学校に入る前から、実家の八百屋でリンゴ箱をひっくり返し歌っていた。少し年上の「ご本家」を、日本中が熱く応援していたころ。中学の卒業式の壇上で1曲披露したら、拍手喝采を浴びた。 「勉強は嫌い」と高校は中退した。キャバレーなどで歌う傍ら、「のど自慢」荒らしに夢中になった。65年には人気テレビ番組で10週勝ち抜きを達成し、プロとして活動するようになった。オリジナル歌手としてデビューする話もあったが、好きでたまらなかったひばりの「影」になる道を選んだ。 皮肉なことに、人気が上がったのは89年にご本家が亡くなってから。九州の離島では公演の後に地元の人の家に招かれ、海の幸をごちそうになった。慰問した刑務所からは、「受刑者は本物だと信じているようです」とお礼の手紙が届いた。戦争の後、疲弊していた人々のように、ひばりの歌に励まされるのを待つ人はあちこちにいた。 活動拠点を大阪から新開地に移した翌年、阪神大震災に遭った。マンションの自宅で3メートルも体を飛ばされたおかげで、倒れた家具の下敷きにならずにすんだ。「私は生かされたんや」。自前で音響機材をそろえ、車に積んで、マネジャーの夫と二人、被災地の仮設住宅や公営住宅を回った。 大物歌手らがあえてジーンズなどで慰問するなか、常に数十万円もするキラキラのドレスに身を包んで、被災者の前に立ち続けた。「ひばりは、ファンにとって常に輝かしい存在でなければならない」と思うからだ。 知らず知らず歩いてきて、52歳で他界したご本家の年齢をとっくに超えた。年の差が開くにつれ、化粧がますます大切になってくる。ショーのある日は何時間も鏡の前に座る。でも、声が出る限りは歌い続けたい。それもまた人生??。 美空ひばりのいない18回目の年の瀬が、巡ってきた。朝日新聞
posted by nozou パチンコ美空ひばり

0 Comments:

Post a Comment

<< Home